うつ病の回復期は、思い切って信頼できる人に相談してみる
- commehomme
- 2017年8月7日
- 読了時間: 4分

うつ病になる人は、自分と同じように他人に頼ることが苦手な人が多いと思います。
迷惑をかけてしまうんじゃないか、相手にとっての負担になりたくない、という気持ちが働き、なかなか本音で話すことができないんじゃないでしょうか。
決めつけてしまっていたらすみません。
あくまで自分がそうだという話です。
うつ病の治療では、周りの人の協力がとても大事ということは、どこでも書かれています。
でも、自分は、前述のような思いから、なかなか本音で相談をすることが出来ません。
つい「大丈夫だから」「まだ頑張れます」、病院でさえ「楽になってきた気がします」とか言ってしまいます。
どうしても、見栄をはってしまうんです。
本当は苦しくてしょうがないのに、大丈夫と言ってしまう。
これは、相手に自分の領域に入ってきてほしくないからだと考えられないでしょうか。
もしくは、まだその準備が整っていない、とか、その勇気がない状態なのかもしれません。
自分は、嫁さんとも「うつ病」のその時その時の状態について、真剣に話し合ってきませんでした。
もちろん、簡単な「今日は少し辛いかな」「少し楽かも」といった話はしていますし、嫁さんもいろいろな気を使ってくれてきました。
でも、本音で相談をすることはできていませんでした。
先週末まで、現在の自分の限界を超えた仕事のやり方をしてしまい、終業後に2時間くらい動けないような状態になり、会議室でぐったり休んでから帰宅という日が続きました。
抗うつ薬を先生と相談して全て止めてから2週間くらい経ち、うつ本来の苦しさを感じるようになってきたタイミングで無茶をしたために、毎日簡単に気力が「0」になってしまった結果だと思います。
意味もなく自分の中で「大丈夫、大丈夫」と唱え続けながら仕事をしました。
その裏側では「死のう、死のう」という考えがずっと渦巻いています。
症状は軽いですが、通院する前の状態を思い出しました。
こんな時、それまでに本音で相談をしている相手がいないと、誰にも助けを求められません。
だって、「大丈夫」って言い続けてきたわけですから。
家族にさえ本音で相談できていなかった自分の勇気の無さが情けないです。
ここでいう勇気というのは、相談しても心配してもらえないんじゃないかというネガティブな気持ちです。
結果的には、メールで家族に助けを求めました。
話そうとするとどうしても「大丈夫だから」と言ってしまいそうだったので、一生懸命、いまの自分の状態を隠さずに書きました。
そして、助けてほしい味方でいてほしいとお願いしました。
返ってきた答えは、「はいよー」でした。
まぁ、嫁さんにとっては当たり前のことだったのでしょうか。
もう少し書き加えられていましたが、自分は「はいよー」の一言で救われたような気がしました。
答えは、なんでもよかったのかもしれません。
自分の本音をぶつけられる相手がいることに安心しました。
自分が苦しいときは、助けを求めるべきです。
でも、相手は選びましょう。
会社に助けを求めても絶対に助けてくれません。
自分にはたまたま自分を心配してくれる家族がいました。
それでも、「自分を助けてもらうために、相手の負担になってしまうんじゃ」と相談する勇気がない場合は、(今回の自分がそうでしたが)相談相手の助けになれるようなことはないかと交換条件的に話をしてはどうでしょうか。
とにかく、うつ病は死んでしまう病気だということを忘れないでください。
「死にたい」と考えている間は、まだ大丈夫です。
「死のう」と思っても、なかなか勇気も気力もわきません。
でも、そう思い続けることが気持ちをとても悪い方向に向かわせてしまいます。
そうなると、なんの気持ちの動きもなく行動を起こしてしまいます。
これを自覚してください。
自分も、「死にたい」という気持ちと「生きたい」という気持ちがグチャグチャになりながら毎日を過ごしています。
なにをしても楽しく思えないので、息抜きをすることもできません。
家族に支えられながら、なんとか仕事をしています。
会社はなにもしてくれません。
こんな自分を支えてくれる家族に感謝です。
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